卓球の歴史を簡単に解説!発祥や世界的に広がった理由は?

卓球台に置かれたラケットと球

卓球の歴史をご存じですか。

今では世界的なスポーツとしてオリンピック競技にもなっている卓球ですが、その歴史はとても深いです。

また、歴史を知っていくと面白い発展の流れもあります。

この記事では、そんな卓球の歴史をわかりやすく解説します。

歴史を知り、より理解を深めた上で、競技と向き合ってみてください。

わかりやすい卓球歴史の年表

卓球の歴史を簡単に表にまとめました。

主な出来事
1880年代 イングランドで卓球が誕生
1900年 セルロイド製のボールが導入
1901年 イングランドにて「Table Tennis協会」「Ping Pong協会」発足
1902年 日本に「ピンポン」という名前で伝わる
1903年 日本でピンポンの模範試合が行われる
1906年 日本初のトーナメント大会開催
1917年 「ピンポン」の名前で日本全国に普及
1918年 「卓球」の名称が誕生
1921年 大日本卓球協会設立
1922年 イングランドの卓球協会が卓球の名称を「TABLE TENNIS」に変更
1926年 第1回 世界選手権をロンドンで開催
1928年 日本が国際卓球連盟(ITTF)に加入
1931年 日本卓球協会の誕生
1947年 戦後初の世界選手権「第14回世界選手権 パリ大会」が開催
1953年 中国が世界選手権に初参加
1972年 「アジア卓球連合(ATTU)」が結成
1977年 「日本リーグ(実業団)」発足
1985年 ITTFが「ラバーの色は赤と黒に限定」を決定
1988年 第24回オリンピック ソウル大会にて硬式卓球が正式種目に採用
2015年 4月6日を「卓球の日」に制定

(参考元:ニッタクヒストリー

上記は、大きな出来事をまとめた年表に過ぎません。

以下で、さらに詳しく卓球の歴史に迫ります。

卓球発祥の地はイギリス(イングランド)だった!

今では日本や中国で親しまれている卓球ですが、発祥地はイギリスです。

19世紀の上流階級の貴族たちが雨天時の室内娯楽として考案したことがきっかけです。

しかし、当時は今のように卓球台などはありませんでした。

卓球台の代わりにテーブルを使用し、葉巻ケースの蓋をラケット代わりにワインコルクを削ってボールとして楽しんでいたそうです。

その後、羊皮のラケットとセルロイドボールの使用により、「ピンポン」という呼び名が定着しました。

当時の貴族の社交場では「ピンポンパーティー」という呼び名でが流行していたそうです。

当時の卓球はラリーが続かなかった!

当時の卓球はラリーが続かず、卓球の醍醐味を感じられるものではなかったそうです。

その主な理由は現在と比べて当時の卓球ネットの高さが著しく高かったことにあります。

そこで国際卓球連盟が観客離れや競技人口減少の対策として、ネットの高さを低く制限したのです。

この変更によってラリーが続くようになり、卓球の面白さが広まっていきました。

卓球発展の歴史

卓球はイングランドで生まれてから数十年をかけて世の中に広まっていきました。

1926年には世界大会が開かれ、1988年にはオリンピックの種目にまでなっています。

日本では1902年に伝来して以来、徐々に普及しました。

近年の日本代表選手の活躍も相まって、現在では人気スポーツの一つとして確固たる地位を築いています。

卓球が日本に来たのはいつ?誰がもってきたもの?

日本に卓球が持ち込まれたのは1902年のことでした。

東京高等師範学校教授の『坪井玄道』氏が、イギリス留学を終えてルールブック、ラケット、ボール10セットを持ち帰ったのがきっかけと言われています。

その後、1906年には日本初のトーナメント大会が開催されました。

1921年には大日本卓球協会が設立されるなど、急速に広まっていきます。

「卓球」と名付けたのは誰?

日本に卓球が伝来した1902年当時、まだ呼び名は「ピンポン」でした。

この名前を「卓球」としたのが、宗教大(現:大正大学)の千々和宝典(ちぢわ ほうてん)という方です。

卓上で行うことと「卓越」にも通じる良い字だということから「卓球」と名付けられたそうです。

ただし、千々和宝典という方についてはほとんど情報がないため、具体的にどのような理由で呼び方を変更させたのかまではわかりません。

なぜ卓球は中国の国技とされているのか?

ここまでで解説したように、卓球の発祥はイギリスです。

しかし、次のように思う方もいるでしょう。

「卓球と言えば中国じゃないの?」

「イギリスが発祥ならなぜ中国の国技になっているの?」

これらの疑問についても、歴史から紐解いていきましょう。

卓球は中国人の自信になった

中国が卓球に力を入れた背景にはアヘン戦争があります。

中国はかつてアヘン戦争で欧米人に敗戦したことにより、劣等感を抱いていたそうです。

そこで当時の首相が目をつけたのがスポーツであり、卓球でした。

中国では卓球は国技である。かつて中国初代首相・周恩来は、国技として卓球を選んだ理由を荻村伊智朗(世界選手権金メダル12個、第3代国際卓球連盟会長)に語った。 中国人は、アヘン戦争での敗戦以来、欧米人に劣等感を抱いている。そこで、国民の自信を取り戻す方法として目をつけたのがスポーツだった。卓球なら日本が活躍しているので、同じ体格の中国人でもやれるのではないか。そう考えて卓球に力を入れることにしたのだという(荻村伊智朗著「笑いを忘れた日」卓球王国刊)。

—伊藤条太 B中国の卓球はなぜこれほど強いのか ”地獄の連続リーグ戦方式”の果てに「なぜ前半に出たいと言わない?」(伊藤条太) – エキスパート – Yahoo!ニュース

このように中国にとって卓球は、国民を鼓舞するための一つだったのです。

そのため卓球に力を入れ、今では「卓球と言えば中国」と言われるまでになったのです。

知っていると面白い歴史!卓球の豆知識

卓球の歴史を紐解いていくと、ラケット、ルール、プレイスタイルなど、面白い豆知識がわかります。

卓球が好きな人ならちょっと知りたくなるような豆知識を解説します。

卓球ラケット進化の歴史

発祥当時の卓球ラケットは、なんと葉巻の箱が使われていました。

当時はまだスポーツとして形成される前だったため、身の回りにあるもので代用されていたのです。

さらに、以下のように卓球ラケットは進化していきます。

  1. 葉巻の箱
  2. バンジョーラケット…木材で作られたフレームに羊の皮を張り合わせて作られたラケット
  3. 木製ラケット…木ベラのような形のブレードに皮を貼り付けたラケット
  4. 木製ラケット(軽量化)…木材で作られたラケットで打球面に穴が空いている
  5. アルミ製ラケット…ラケット本体が金属で作られている
  6. ペンホルダーラケット
  7. シェイクハンド用ラケット

なお、バンジョーラケットや木製ラケットは、卓球用品の製造・販売をしている株式会社タマスにて展示されています。

ラバーってそんなにあるの!?ラバーの歴史

卓球のラバー技術は、戦後日本の革新によって劇的に進化しました。

「裏ラバー」の発明が従来の技術を一変させたからです。

ラバーを裏返して貼ることで、指を使わずに強力な回転をかけられるようになったのです。

この発明がきっかけとなり、ラバー技術は飛躍的に発展します。

スポンジラバー、裏ソフトラバー、表ソフトラバー、ツブ高ラバーなど、多様なラバーが次々と生み出されました。

実は変更の多かった卓球ルールの変化

卓球のルールは、技術の進歩に伴い大きく変化してきました。

競技の公平性を保ち、観客にとってより魅力的なスポーツにするためです。

大まかなルールの流れは、以下のとおりです。

  • 1959年…国際卓球連盟が用具制限ルールを制定・スポンジラバーの使用禁止やラバーの厚さ制限
  • 2000年代…ボールの直径拡大・11点制への変更・サーブルールの改定
  • 2014年…プラスチックボールの導入

このように、卓球のルールは時代とともにルールも変化していきました。

初代卓球セットは全く売れなかった

今では卓球と言えば、誰もがイメージできるほどに認知されています。

しかし、初代の卓球セットは全く広がらず、売れ行きも悪かったそうです。

現時点で最古の卓球セットとされているのは、1890年、イギリスのデビッド・フォスターが発売した「パーラー・テーブル・ゲームズ」です。

このセットは、テーブル上で卓球・テニス・クリケット・サッカーの4種類のゲームができる複合的な設計でした。

しかし、綿のボールとガット張りラケットの組み合わせは卓球に不向きで、全く流行らなかったのだそうです。

(参考元:【卓球】真説 卓球おもしろ物語(伊藤条太)「卓球誕生」Part.3

歴史によって変わる卓球のプレイスタイル

卓球のプレイスタイルも、時代によって変化してます。

1940年代から1950年代にかけては、カットマンと呼ばれる後衛でバックスピンを多用するスタイルが主流でした。

その後、カットマンスタイルを倒すべく現れたスタイルがペンホルダースタイルです。

グリップを使用した攻撃的なスタイルが台頭し、日本からもチャンピオンを生み出しました。

しかし、ペンホルダーに対抗すべく、次に中国が「前陣速攻」という卓球台に近づいて素早く打ち返すというスタイルをみせます。

そのようななかで、次に世界を圧巻させたのがスウェーデンのヤン=オベ・ワルドナー選手のスタイルです。

オールラウンドなシェークハンドスタイルが世界を席巻しました。

しかし、ここでも中国は負けません。

中国式の攻撃的なシェークハンドスタイルで、ヨーロッパ全盛時代を打ち砕きました。

このように、卓球のプレイスタイルは常に進化を続け、時代とともに変化してきたのです。

まとめ

卓球の歴史は奥深く、発祥から発展、プレイスタイルやラケットなども進化しています。

これらの歴史を知るだけでも、卓球への打ち込み方が変わるのではないでしょうか。

現在は、プレイスタイル、ルール、ラケットも確立されており、今後の変化はないと考えられます。

しかし、これらに変化がないということは、選手の腕次第ということでもあり、練習次第で強くなれるということです。

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